白鳥なんぞどうでもいい。
申し訳ないが、テーマとバリエーションなんぞどうでもいい。
正直まったく楽しめないのは
こちらの精神だの身体の状況なので
それはそれで価値はあるんだろうが今の私には前半は無価値だった。
楽しめない自分に、正直やりきれなさや軽い絶望感を感じていたが
求めるところ、欲しいものが違うのだからしょうがないと納得した。
私は、Pushという作品がみたかったのだ。
そこから与えられるものが欲しかったものだった。
生きているのに死んでいる同時性を身体が刻印しすぐに消える。
様々なパワーゲームを連想させる2人の動き。
ピエタは死んだ体を連想させる完成された形態だと思った。
ジュリエットの倒立するリフトは生きたものではない死者の体としての表現なのだと思った。
さまざま連想が呼び寄せる思考。
脳内にプリインストールされた
「生きている」と「死んでいる」形態が
本来ありえない順序で、
あらゆる瞬間に怒涛のようにこちらに流れ込む。
情報に翻弄される脳は混乱を極めているだろう。
生きているのに死んでいるかたち。
死んでいたのに生きている巻き戻されるフィルムのようなありえなさ。
確かに動いているのに、あるいは逆に死んでいる形なのに
同時に死んでいたり、生きていたり。
胸のそこから呼び出される情動は
諦観だった。
こんな見方をする自分というのは
まるで死に取り付かれているみたいだとどこかで苦笑がもれる。
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