始発、三井寺。
謡曲にもある。
生き別れの子供と出会う物狂いの女。
鐘の音はきいたかどうか定かではないが11面観音と対面した。
琵琶湖の対岸まで一望する、静かに、ひろびろとした空間だった。
京都に移動し、薪能を初体験する。
松風だった。
恋の妄執に松にとりすがる。
狩衣姿が、物の怪らしく、焔の色を映して金色燦然としていた。
謡も、内容も帰ってから読み直して理解した。
その場では、もう金色の姿と声にぼんやりするだけだった。
知らず、戒められていたような、そんな演目。
最後は見事な月が見送ってくれた。
楽しいこともあっていいじゃないか。
そんな感じだ。
学ぶの、学ばないの、シュミレートするの、体験するの、そんなこと
どうでもいいよな。。
一人ではできないこともある。
出来ないからしないでもなく、しようでもなく。
そんな風がいいのかもしれない。
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