2007年01月08日

空虚を体感する休日

空虚を体感するには究極、パウル・ツェランに勝るものなし。
「誰でもないものの薔薇」の
「あまりに多すぎることが話題でした、あまりに
少なすぎることが。……」とか
彼の提示する人間と人間の間の絶望的な断絶感を越えるものは数少ない。

しかしながら、そういう伝わらなさは特別なことでなく
諦める表情や虚ろな黒い穴みたいな何もうつさない瞳を
仕事でどれほどみてきたことか。
ディスコミュニケーションの表情は自分にとって
悲惨な事故や震災の風景と同じく心傷風景であるので
PTSDを引き起こす、から要注意とわかっていてもな〜
ぶつかるもんはぶつかるのだ。
で、こうやって燃え尽きていくのだ、いろいろと。




posted by CORONA at 20:48| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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ツェラン『ケシと記憶』
Excerpt:  目次  骨壷たちからの砂    荒野の歌    夜 きみの身体は    いたずらに    マリアンネ    ともし火    手を時で満ち満たせ    半ば夜    きみの髪..
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Tracked: 2007-03-29 21:48