拘束だったり拷問だったり自分の力ではどうしようもない
辛く苦しい状態にありつづける体験によりその不思議な力を得るのだ
という話をしているのをきいていたことがある。
というのを思い出した。
融通無碍。
無意識と意識の境目をさまよう伯母は
いやだということを自分の身体を使って表現しているかのようだった。
胃婁の手術の承諾書を渡し、
いざ、検査をと準備する中、熱をだした。
胃婁は中止となり、急性期病棟から療養病棟へと転科した。
さらにそこでも
中心静脈栄養の管を、邪魔なものを抜けといわんばかりに
発熱をくりかえし、通常の点滴に変えさせた。
望む方向へ開放される方向へ誘導していくかのようだった。
炎症反応のない発熱は実は、肺炎だった。
代休消化に休暇をとった前日に主治医からのムンテラをと連絡が入り
そして2時間後に急変したので来て欲しいと内容がかわった。
訪れた先の伯母の容態はおちついていた。
チェーンストークスの無呼吸時間がなく呼吸しているのが
辛そうではあったが不思議な感じだった。
うっすらと目をあけたその視線には、正気があった。
勿論なにもいわなかったがうめき声もあげずにいるのが
症状がすすんだのか、身体が辛いのだろうと思えた。
それが最後に見た闘病する姿だった。
状態が悪いながらに安定してすごしていたが
4日後に呼吸状態が悪化しあっけなく心停止にいたった。
夢に死んだ母をはじめ、様々な暗示を
見続けていたので驚きは無かった。
病院にいけば、この病院に入ってお世話になった方々と
次々と出会えてお礼をいうことができた。
実に伯母の超能力だ。
ひっそりとこじんまりと葬儀をおこない
まるでSF映画のようなモダンな火葬場で骨を拾い納めた。
寺の本堂のゆれる灯りに写真の口元に影がゆれて
共にあみだぶだぶつ、とつぶやいているように見えた。
伯母は若いとき、年をいった父と暮らしたとき、
厳しい姉と暮らした長い年月を念仏と共にしてきたのだ。
きっと経文に久方ぶりと喜んでいるのだろう。
身動きひとつすることも話すことも出来なくなったが
伯母は、我々を気にかけ愛してくれていたことを感じた。
若い時分は、小悪党っぷりを遺憾なく発揮し
様々な困ったことをしでかしては思慮が足りないと罵られていた
伯母であった。
親戚や知人、鬼籍に入った人数も大分多くなった。
生者よりも死者と近しく生きている、と思うこともある。
なんとしたことか、人が死ぬことにより
生きている人間である私の人生は豊かになる。
感謝してもしても足りないくらいだ。
不思議にそういう感覚を覚えた。
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