2008年12月29日

転院の条件

転院の条件は、胃婁手術の承諾だった。
つまりは、なんだのかんだのいって
個人の選択なんてものはない。

精一杯やった。
でも、制度に負けた。
倫理に照らして、
直系の家族でないただの代理人に過ぎない立場において
選択することができないようになっている。

「このまま点滴では死んでしまいます」ってのはおかしな言い草だ。
大きな発作を起こして経口が不可となった時点から今まで
どうやって生き延びてきているのか。
死ぬ権利というものが失われている。
人間って誰でもどうやっても死ぬものではなかったのか?
かろうじて脳幹で生きている、呼吸停止時間も長い。
チェーンストークスは脳の機能障害だ。
低酸素に恒常的にさらされている。
呼吸が戻ってきた状態を水中から顔を出した状態と表現してくれた。
毎回毎回何千回と水中に潜っているこの状態を安楽だと
思えるかどうかは人によるだろう。
精一杯がんばっているというのはどの関係者も異口同音にいう。
胃婁して、その精一杯頑張っている状態をさらに継続させること、
しか、選択肢にはない。
機能停止していく身体と意識レベルとを見ながら
自然な衰弱というものは望めないらしい。

「どんな選択をしても、結局はその人のもっている運命によって
生命の長さは定まりますよ。
胃婁の手術をしてどれだけ力を注ごうが、なくなられる方はいる。
まったく食事ができなくなっても、それからしっかりと1ヶ月近く
過ごされる方だっている。」

スタッフの言葉がありがたい。

伯母のことは、彼女のことは、神様に預けることにした。
制度がどうだろうがなんだろうが、
私達の思いがどうであろうが
彼女は彼女で神様が許されるところまで生きる。

別の病院で、はじめての年を越す。
しかし生きている限り誰もが毎年初めての年を迎える。
同じ年というものはないのだ。
切々と思う。








posted by CORONA at 17:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする