移動の途中で考えてたこと。
失うことだけが人生ですという老齢期において
何を課題とするのだろうか。
伯母は5年間のグループホーム入所期間に、
スタッフの方や、同じ入居者の方々から
愛されてうれしい時間をすごせた。
彼女の人生にあって、ほとんど無かったことかもしれない。
ことごとく彼女の価値観は否定され、
彼女の求めるものは非難されたり、嘲笑をうける環境だったことは
想像に難くない。
家族に迷惑をかける考えなしの行動は少なからず多かったし
それは非難されても仕方がないかとも思うが
非難される所以のないものもすべて否定されていた背景は見落とされがちだ。
愛される期間を経て、
否応なしにその環境から離れざるを得ないアクシデントを得て
彼女は、次のステージに来たように思えた。
彼女自身が何かを得なければ
どんなに辛くても死を迎えることはできないように出来ている、
そんな課題とはなんだろう。
一番上の伯母の時には、
面倒を見ている妹や、親族や、世間や、諸々への
人の為に何かをする、という頑固な意識を
ガンの脳メタにより維持できなくなり手放した時に、
洗われて晒され白くなった流木のような姿を見た時に
やっと開放されたのだな、クリアしたのだなと思った。
彼女の人生をすべて律してきた
人様の為に生きなさいという呪縛が解けたのは病によってだった。
今、伯母は何を課題としているのだろう。
たとえそう考えることが現実とは違っていても、思うのは自由。