2017年02月17日

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2010年03月14日

更新

さて。
久々にキーボードに向かっているが、
日々様々変り行くことおびただしい。

当初めだか日記として勧められたこの場であるが
めだか達は、増えることなく次々と1年をめどに死に行き
最後の1匹を失ってから久しい。
ばたばたと今までになく老衰以外で理由もわからないまま
死に行く姿は後味が悪くそれ以来飼う気も失ってしまった。

知己もなく、慣れ親しんだ様々が手に入らないこの地で
自分らしくあり続けるのには・・・ともがき苦しみ
去年の雪、いまいずこと問いかけては
己の根幹をなす、色々を振り返るために
記述をしていた面もあったと思う。

マイフェバリットは理解されえないものであるという状況は
いまだにかわることはなく
ここにいる限りは将来もかわらないだろう。
知と教養に価値を置く昔風の価値観を持つこと。
それすらもままならないということは実に大変だ。
しかし、知と教養、まあ特化した能力を持っていたとしても
人間としての基本的なコミュニケーション能力を欠いているとすれば
どれほど尊敬をしようが、その先というものはないということも
遅まきながらも体験として得た。

相対、何が必要なものなのか。
何が無くても生きていけるものなのか。
本当に価値を感じるべきものはなんなのか。
実にいまだに見つけ出せずにいる。

この1月、2月、体調の悪い時期が多かった時に夢をよく見た。
母が死ぬ前に語っていた夢の類型のようだった。
「家中が凄い埃で、ばたばた屋根裏からなにからはたき出すの。
人もいないのに仏壇の鉦が鳴るの…」
さすがに仏壇はでてこなかったが
飼っていた犬と夢で再会するのはありがたいが
糞まみれの家の様子には閉口すること然り。
ああ、私の人生こんなに掃除することが必要なのだと半泣きになる感覚があった。
そうやってまるで死ぬ前の人のように何かを整理する夢を幾度と見た。
次々と飼っていた犬達が夢で会いに来る。
実のところ、私の送ってきた人生では
人から受けた愛よりも犬から受けた愛のほうがより多いのだから仕方ない。
人間対人間というのは大概odi et amo になる。

どこかに記録しておいたほうがいいものとしては
この3月の頭に体験した、ふっと無重力を体感する感覚だろう。
海を浮沈するクリオネの感覚…みたいなものだ。
自由に動く、舞い上がる、
重力と無縁な喜びとはこのようなものかと思えるものだった。
実に不思議な体感だった。

などなど取りとめのないことを記録がわりに書いて終わる。













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2009年06月08日

ウイルスソフトが重過ぎる

まったくもって重すぎるので
PCが使い物にならない日々。

ブラウザも変えてみようか・・・。

その前に機種変ならぬ交換か・・と考えなくもないこのごろ。
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2009年06月03日

微熱

特にハードな一週間を過ごしたら
熱が出た。

たくさん働けないような身体になっているらしい。
他の場合なら無視する程度の発熱に半日やすんで眠る。
半日だけ仕事にいくが
そのほうが能率があがるんじゃないのか?
私に午前中はいらないんじゃないかとふつふつと疑念がわく。
結局電話をとって廻して、じゃないのか?
立て続けに入る電話にいらだつ。

夜になると熱があがってくるのがわかる。
まだ本調子じゃないらしい。
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2009年05月31日

刺激⇔反撃

最悪な上司、劣悪な環境がすべて悪という訳ではない。
当然、精神衛生はぼろぼろになり、
抑うつ度テストでは昨年度ほぼ自己最高点をマークし
数値の上では既に私は抑うつにおちいっている。
それでも地球は廻っているし、次の日はくる。
苦しい息の下、考える。

この最悪な上司を相手になにができるのか。

答えは「黒船」だった。
中から何を言おうが、
自分自身のわけのわからない都合のいい方向に捻じ曲げるくせに
外からいわれることには弱い。
外部からの「偉い人」にいわれたことは通る。

実にありがたい。
「外」には様々な有能な人達が溢れている。
この閉塞感溢れる小さな世界でにらみ合いしているより
よほど有益。
そして、とてつもない刺激を得ることが出来るというおまけつき。

実のところ
様々この1月からやってきている事といえば
外からの血をいれることに要約できるのかもしれない。

腐った業者から足元みられながら
たかだか1時間程度の派遣事業に4万近くを払うのはごめんだ。
こちらの欲しい時間帯に、
欲しい人材をまわすことも出来ないくせに値段だけは高い。
独占とか寡占とかある種の談合とかそういう単語が脳裏を過ぎる。
そんなものに金を払うしかない現状が最悪すぎる。
使える能力の高い人材を
モチベーションが高く理想のある一緒に働ける人材が欲しいのだ。
ありものでなんとか廻していかないといけないのはわかるが
それではもうやっていけない。
馬鹿とはさみは使いようというが馬鹿高い無能はいらない。
使えるはさみをよこせ、さらに適正な価格でだ。

はさみが手に入れば、次の段階が待っている。
3年たたかう。
その後は誰がなんといおうとバカンスだ。









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書くことを忘れている

日記のスペースがあることも忘れていたようだ。

いそがしいのか。
確かに忙しい。
馬鹿みたいなことでいろいろ時間をつぶされている。

なんとかとか。
事務職たちのけつぬぐいのためにいるわけじゃないが
そのつもりで使われているらしい。

ばかばかしい。
暴利きわまりない事業所が独占していたものを新規開拓して
1つの事業の中で経費をそれこそ半額ほどに落としても
その1/10ほどの人件費すら自由にならないなど。
くそったれぼけかましてんじゃないぞとほえたくなる。
指一本動かしもしない人間が金はけずるが
効果がでてないなどほざきやがる。

去年の上司どもはひどかった。
今までの働かない小役人上司より一層たちが悪いんじゃないかと
思うほどだった。
今年は変化があった。
どうなるのか。
どちらにしてもあと3年ほどだ。
団塊の世代が退職していく。

まあ羨ましい勝ち逃げ人生だこと、と思うことは自由だろう。



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2009年02月21日

ケソ・アル・ロメロがある時、ない時・・・

まだ出会っていないチーズも数あるのにと思いつつ。
ケソ・アル・ロメロが一番好きだ。
スペイン原産。
牛・山羊・羊の三種混合乳のハードタイプ
うっすらと半透明ないわゆる玉脂の肌合い。
外側はびっしりとローズマリーで真っ黒に埋め尽くされている。

なかなかお出会いできない、見かけたら持ち金がどれほどだろうが
即買いしないと、次の出会いはいつだ?っていうほど。

このチーズが手に入ると思えるのは、
めったにいかないがそごう心斎橋店のカマンベールさんくらい。
名古屋の高島屋でみかけたことが1回。
あとは軒並みムリっぽい。
大丸系列にそごう本店身売りの報をきいたが
カマンベールさんがなくなってしまったらば、
いったいどうしようなのだった。

各百貨店や店舗に配属されているチーズ小売店の店員さんも様々。
同じ系列店であっても、よくしてくれる人もいれば
反対に絶対あわない人もいることだのぅ。
高島屋某店にはいかないことにしよう。
阪神はそんなに感じがわるくないんだけどなぁ…。
熱心で知っていることをしっかり教えてくれる
親切なスタッフさんとのお出会いもたのしからずや、なのだった。

こんなに愛して好きで好きでたまらないチーズなのに
全然名前を覚えていないのはどうしたことだろう。
売り場では「山羊とか羊とかのチーズで、
びっしりローズマリーがくっついている・・・」と説明し
それでも、なんとか通じてるのだが。
もうすでに記憶する力が衰えてしまって、
新しいものの記憶がはいらないのだろうか。
「化粧のあるロメオ」と語呂合わせしても
その本体が思い出せないという危険がある。
なんともはや、だ。
posted by CORONA at 22:37| Comment(0) | TrackBack(0) | チーズ覚書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月09日

やってくる、やってきた。

昔、超能力者というものは、
拘束だったり拷問だったり自分の力ではどうしようもない
辛く苦しい状態にありつづける体験によりその不思議な力を得るのだ
という話をしているのをきいていたことがある。

というのを思い出した。
融通無碍。
無意識と意識の境目をさまよう伯母は
いやだということを自分の身体を使って表現しているかのようだった。
胃婁の手術の承諾書を渡し、
いざ、検査をと準備する中、熱をだした。
胃婁は中止となり、急性期病棟から療養病棟へと転科した。
さらにそこでも
中心静脈栄養の管を、邪魔なものを抜けといわんばかりに
発熱をくりかえし、通常の点滴に変えさせた。
望む方向へ開放される方向へ誘導していくかのようだった。

炎症反応のない発熱は実は、肺炎だった。
代休消化に休暇をとった前日に主治医からのムンテラをと連絡が入り
そして2時間後に急変したので来て欲しいと内容がかわった。
訪れた先の伯母の容態はおちついていた。
チェーンストークスの無呼吸時間がなく呼吸しているのが
辛そうではあったが不思議な感じだった。
うっすらと目をあけたその視線には、正気があった。
勿論なにもいわなかったがうめき声もあげずにいるのが
症状がすすんだのか、身体が辛いのだろうと思えた。
それが最後に見た闘病する姿だった。
状態が悪いながらに安定してすごしていたが
4日後に呼吸状態が悪化しあっけなく心停止にいたった。
夢に死んだ母をはじめ、様々な暗示を
見続けていたので驚きは無かった。
病院にいけば、この病院に入ってお世話になった方々と
次々と出会えてお礼をいうことができた。
実に伯母の超能力だ。
ひっそりとこじんまりと葬儀をおこない
まるでSF映画のようなモダンな火葬場で骨を拾い納めた。
寺の本堂のゆれる灯りに写真の口元に影がゆれて
共にあみだぶだぶつ、とつぶやいているように見えた。
伯母は若いとき、年をいった父と暮らしたとき、
厳しい姉と暮らした長い年月を念仏と共にしてきたのだ。
きっと経文に久方ぶりと喜んでいるのだろう。

身動きひとつすることも話すことも出来なくなったが
伯母は、我々を気にかけ愛してくれていたことを感じた。
若い時分は、小悪党っぷりを遺憾なく発揮し
様々な困ったことをしでかしては思慮が足りないと罵られていた
伯母であった。

親戚や知人、鬼籍に入った人数も大分多くなった。
生者よりも死者と近しく生きている、と思うこともある。

なんとしたことか、人が死ぬことにより
生きている人間である私の人生は豊かになる。
感謝してもしても足りないくらいだ。
不思議にそういう感覚を覚えた。











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2009年01月04日

新年を過ごす

タレン ヴァンドベイドック メルロー 2004は
おせちによくあう優れものだった。
色はやや赤褐色を帯ていて、煮物にも酢の物にも合う。
キャラメル掛けの豚から揚げにもしっくりと添う。

恒例になっていた下呂への旅行をとりやめた。
長期休暇のはずが、最初と途中と真ん中あたりで
予定が3箇所も入れば、それは長期とは呼べないありさまとなる。
旅行の分の費用が浮いたのではなく、
その分は美食に消え、身につくことになった。
家にいると、食べることが多くなり身体にはよくないなと痛感する。

何年ぶりかに家で過ごす正月に
煮物とローストビーフは手作りしたが
メインおせちを購入してみた。
高額なおせちは配送してもらえず
大晦日にこちらが取りに伺うことになった。

バブリィな敷地に目眩がする。
出てきた支配人がどうしてもインテリやくざにしか見えず
かなりびびる。
おせちだけでいいんだよ。
しがらみはいらない。
私はあなたの顧客にはなりえない。
しがらみのない世界はないよという声もする。

なんでも入っている夢のようなお重を飾りこんこんと寝て暮らす。
すべてに配慮した丁寧な仕事に満足する。
なにもかも家族向けにできている正月の買い物をするよりも、
こうやって出来たものを買うほうが高額に思えるけれども、
最終的には適正価格になるのかもしれない。
甘すぎたり、照りがはいりすぎたり、口に合わない代物は
どれだけ日数がたっても減らない。
最終的に残食となり捨てることを考えれば、と
自分にすらいいわけしたくなるくらい饗宴だった。

いやいやローマもかくやなものが、庶民の口にはいる。










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2008年12月29日

転院の条件

転院の条件は、胃婁手術の承諾だった。
つまりは、なんだのかんだのいって
個人の選択なんてものはない。

精一杯やった。
でも、制度に負けた。
倫理に照らして、
直系の家族でないただの代理人に過ぎない立場において
選択することができないようになっている。

「このまま点滴では死んでしまいます」ってのはおかしな言い草だ。
大きな発作を起こして経口が不可となった時点から今まで
どうやって生き延びてきているのか。
死ぬ権利というものが失われている。
人間って誰でもどうやっても死ぬものではなかったのか?
かろうじて脳幹で生きている、呼吸停止時間も長い。
チェーンストークスは脳の機能障害だ。
低酸素に恒常的にさらされている。
呼吸が戻ってきた状態を水中から顔を出した状態と表現してくれた。
毎回毎回何千回と水中に潜っているこの状態を安楽だと
思えるかどうかは人によるだろう。
精一杯がんばっているというのはどの関係者も異口同音にいう。
胃婁して、その精一杯頑張っている状態をさらに継続させること、
しか、選択肢にはない。
機能停止していく身体と意識レベルとを見ながら
自然な衰弱というものは望めないらしい。

「どんな選択をしても、結局はその人のもっている運命によって
生命の長さは定まりますよ。
胃婁の手術をしてどれだけ力を注ごうが、なくなられる方はいる。
まったく食事ができなくなっても、それからしっかりと1ヶ月近く
過ごされる方だっている。」

スタッフの言葉がありがたい。

伯母のことは、彼女のことは、神様に預けることにした。
制度がどうだろうがなんだろうが、
私達の思いがどうであろうが
彼女は彼女で神様が許されるところまで生きる。

別の病院で、はじめての年を越す。
しかし生きている限り誰もが毎年初めての年を迎える。
同じ年というものはないのだ。
切々と思う。








posted by CORONA at 17:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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